4万5000円のババア
新宿歌舞伎町の夜の喧騒の隙間から、「おい、客引きは禁止だ」と強い口調のアナウンスが聞こえる。
ここ数年、爆発的に外国人が増えた。色々な国の人が行き交っているし、外国人を意識したお店がだいぶ増えた。時たま、この辺りを歩くと、思い出す奴がいる。まだ、ゴジラのモニュメントが歌舞伎町になかった頃のことだ。
僕が転職したての頃、仲良くなった同僚とよく新宿で遊んだ。天下一品のラーメンを食べて、少し酒を飲んだのち、どちらともなく「どうしようか、このあと。」と投げ掛ける。
野郎ふたりで23時頃にこのあと、と言えば、次の店にとりあえず飲みに行くか、夜の店に駆け込むか、酔って楽しそうな女子二人組を探してカラオケにでも行くのが普通だろう。ただ、当時の僕らにとっては、この問答はひとつ。これは僕らは、抜きの合図だ。
まだ20代の中頃、僕らはまだまだ猿のような性欲を持っていた。お互いにちゃんと彼女がいて、別に店に頼らないと処理ができない訳じゃない。関係もお互い良好で、少なくとも週に一度はセックスをする。ただ、男性諸君なら分かってもらえると思うが、ほろ酔いの時は平日であっても無性に抜きたくなるのだ。
当時の僕らは、一度に二万も出せるほどお金に余裕がなく、一万前後で遊べる店が主戦場だった。
この日は激安デリヘルで遊ぶことにした。圧倒的な激安価格の一方で、その店のレベルは本当にひどい。写真をのせる意味あるのかと思うレベルで別人が来る。しかもひどいブスだ。ブスという言葉でも足りないかもしれない。僕も同僚もその店で遊ぶ時は部屋の灯りを全部落とす。そうでもしなければ、楽しむことが出来ない。そこで働く人にも、その店を選ぶ人にも申し訳ないが、当時よりも収入が増えた今、風俗に行くことはあっても、その店は二度と利用しないと決めている。ただ、当時の僕らには、0時以降も遊べる貴重な店舗だった。
電話予約を済ませて、意気揚々と向かう。予約が取れたのが深夜1時で、時間が結構ある。店が抑えたのが、新大久保のホテルだったので、せっかくだし華やかな歌舞伎町を通り抜けて歩いて向かうことにした。
コンビニでお金をおろし、僕らはタバコを吸った。
周囲には、スマホで風俗店のページを見ているサラリーマン、同伴出勤している様子のキャバ嬢と妙齢の男性、ホストかスカウトマンと思われる出で立ちの男、道中で急にキスをするカップルたち。様々な人が様々な人生を歩んでいる。
「なんかさぁ値段も値段だからさ、仕方ないけど一人くらい当たりって思える子がいてもいいよなぁ。」
同僚は、タバコの煙と一緒に本音を吐き出した。
そうだ、確かに僕らはその店に何度か通っているが今まで当たりだった事がない。じゃあなぜ行くのか、行くなよ、と言われたら返す言葉がない。ごもっとも。ただ、当時の僕らは、そこに夢があったから、と答えるだろう。
「 ま、さくっと抜いてクソして寝よう。」
僕らが新大久保方面に歩き出すと、やんちゃそうなキャッチに声をかけられた。
「お次は?」
昔読んだ、日ピン研のレポートには、キャッチには、ホイホイついていってはいけない、と書かれていた。騙されるもんか。目すら合わさずに僕は「決まってるんで。」と答えた。
「どこすか?この時間だとデリ?ホテルも案内出来ますけど」
「店に取ってもらってるんで」
「ちなみに、なんて店ですか?今後の参考にしたいんで」
「🌑🌑(店舗名)」
「ちょっと待った、お兄さん。あそこはマジ辞めた方がいいですよ。あの店、他行ける店ない子が回されるとこだから、ひどいの出てきますよ」
「知ってます」
「で、後こないだ変な噂聞いたけど、あそこ近々摘発されるらしいから気を付けて」
「え?」
さすがに摘発と聞くと、穏やかではいられない。夜遊びで一生を棒にふる訳にはいかない。僕らは奴の話を聞くことにした。
聞けば、脱税と違法な営業を行っている、との内部告発があって警察が動きだし、最近店長が変わったから、身代わりだろうとのことだった。 行くなら気を付けた方がいいと。
余談だが、事実、その店舗はその数ヵ月後、本当に逮捕者が出た。思い返せば、その危険からある意味、奴のお陰で守られたのかも知れない。
「それなら、ちょっとお金足してもっと評判のいい店すぐ繋げますけど、とりあえず写真だけ見てみません?」
酒によって高まった性欲を、お縄になるかもしれないという恐怖感が、写真を見ようとそそのかす。
僕も同僚も悩んだ。
とりあえず、今取ってある予約はキャンセルしよう。
店に連絡をすると、電話番の態度は豹変した。
「おい、てめえ。なめてんのか。キャンセルとかねえんだよ。こっちはもう抑えてんだ。」
「すみません、もう決めたので。」
「おい、勝手なこと言ってんじゃねーぞ!!」
怖くなって電話を切ると、すぐに電話がかかってくる。
これはもうダメだ。着信拒否をすると、その後見慣れぬ番号から繰り返し脅しの電話が来た。しばらくすると止んだので、おそらく代わりの客が決まったのだろう。くれぐれもドタキャンには気を付けましょう。
さて、そうして晴れてフリーの身となった僕らは、とりあえず、と写真を見に行くと答えてしまった。
その通りから細い道を抜けて、ビルの合間の小道を突っ切ると写真を持った男がいた。
「今はこの子たちなら」
驚いた。修正かかっているという当たり前のことも性欲のせいでスルーしてしまうが、ガッキー似、長澤まさみ風、石原さとみ似、幼い感じの狸顔の美少女(今で言えば、長濱ねるのようなイメージが近い)、木村多江風の何故か妙なエロさがある美女とバリエーション豊かな5枚が並んだ。
同僚はガッキー似を選んだ。
僕は正直選べなかった。風俗で上記のレベルの女性が来ようものなら事件である。
すると、奴がこう持ちかけた。
ちなみに、木村多江似の女の子はプラス5000円で、DVDが付けられる、と。
マジかよ。
酒の力と性欲は本当に怖いもので、僕は不覚にもこのDVDが欲しくて堪らなくなってしまった。だって、このあと来た女性とあんなことこんなことをして、しかも後日DVDを見ながら「あぁ、俺こいつ抱いたんだよな」と悦に入ることが出来る。
「木村多江似の子で」
僕は反射的に答えていた。
そこで、レンタルルームに行こうと奴に言われる。
奴とは道中色々な話をした。
今の店は、裏風俗で有名なグループだが表向きの風俗店もいくつかあるので安心であること、僕らが選んだ二人はほぼ予約で埋まってしまいフリーで取れるのは奇跡的であること。
この時点で怪しさに気がつくべきなのだけど、酒と性欲の虜になっていた僕には到底気がつける訳もなかった。そう、お察しの方もいるだろうが、僕らは騙されたのだ。
奴に25000円を支払い、レンタルルームもそれに含まれていると言われ、指定のレンタルルームに行くと、「5000円」とコミコミ価格出なかった上に、レンタルルームの相場にも合わない金額を言われ、僕らは利用を諦めた。
レンタルルームでごねようとしたら、「知らねえっていってんだろ」と怖いおじさんが出てきた時は本当に漏らすかと思った。当然外には奴の姿はなく、パネルを見せてもらった場所もすでにもぬけの殻。
「やられたな」
「あぁ、でもとりあえず無事でよかった」
さよなら、木村多江。
さよなら、歌舞伎町。
僕らは、とりあえず客引きをしていたガールバーの姉ちゃんと戯れたりして悲しみをごまかしながら、しばらくして帰路に着いた。
騙された。でも、股間はまだ熱い。
せめて振替店ならまだしも、僕らは実在しない妄想体験に金を払ってしまったのだ。
どうしても収まらない性欲をなんとか解消しようと、僕は甲州街道の途中でやれると噂のチャイエスに向かった。
やれたよ。確かに。
でも、木村多江には到底似ても似つかない、すげえババアだったし、そこでも20000円かかった。つまり僕はババアを抱くためにこの日45000円も消費したのだ。
初めてだったよ、泣きながらセックスしたのは。気持ちよくもないのに無理やり股間に意識を集中させて射精したのは。
店の外はもうすでに空は明るくなっていて僕の心とは反対の、快晴だった。
痣のある女
夜風の冷たい春先に深夜残業が続くと、ふときみを思い出す。
小田急線の南新宿駅で、タクシーを拾うまでのつかの間、抜くか寝るかで悩んで家とは逆方向を運転手に伝える事が多かった、数年前のこと。
コマ劇の辺りをぐるぐると、さも用事があるかのように歩いて、人の気配が消えたとたんに携帯を取り出し「90分コースで」と伝える。
60分だと自分は早漏なので、少し変な時間が残る。90分あれば、調子のいいときは二回出来る。
ちなみに、60分の余った時間は話そうと思えば、別に話せない訳じゃない。熱いリビドーを感じている僕にはそれは億劫でしかないだけのことだ。
ぼろぼろのラブホテル。ラブホテルと言えないような古めかしい外観で、お世辞にも綺麗とは言えない、二丁目のホテル。部屋へ入るなり僕はタバコに火をつけて、部屋の証明を落として、靴下を脱いで足を洗う。嬢に臭いと思われたくないからだ。
そして、歯を磨く。夕飯に食べた焼肉弁当の匂いを知られたくないから。
そして、カバンに忍ばせたブレスケアを多目に飲んで、クロレッツで息をリフレッシュさせる。
普段ならこの行程を終える前の歯磨き中にノックされるのだけど、この時は来なかった。誰が来るのかな。フリーで入ったから分からない。一人ずつしらみ潰しに写メ日記を見て心を高めていく。一通り見終えて、もうだいぶ時が過ぎた。もう一度、この子だといいなとひとりの嬢のページを見ていた時にノック音が響く。
もう何度も風俗に行っているがこの時だけは未だに慣れない。
そこに君は立っていた。この子がいいなと思っていた嬢。会いたいと思っていたよ。性感帯も、初体験が17歳なことも、血液型だって知ってる。趣味は料理ってこともね。
写メ日記で学んだ内容が、鮮やかに頭を巡る。これまで幾多のパネマジを経験してきた僕も、今回ばかりはほぼ修正のないきみのルックスに見とれた。
ちょっとぷっくりした頬、ちょうどいいおっぱい、くびれたウエスト、白い肌。パステルカラーのカーディガンに、かわいらしいシャツ、ロングスカートとブーツ。当時、割とよく見る格好だったのに、不思議と、とても上品で、天使にさえ見えた。
「こんばんは。」
きみの可憐な声が心地よく響く。
「オッス、今日はさみぃなぁ!」
いつもの自分では絶対言わない、おっさんのような挨拶をしてしまうほど、僕は気が動転していた。
「あっ!」
入り口でつまづいたきみを抱えた時に香った、シャンプーの香りは、今も僕は忘れられない。
事務的なやり取りを終えて、服を脱がしてくれたきみ。間近で見ると本当にかわいくて、いい匂いで、ドンピシャにタイプだった。
早くも爆発しそうな自分のそれを見て、きみは「えー早くない?」といたずらっぽく笑った。
今度は僕が脱がせる番。カーディガンをたたんで、ゆっくりブラウスのボタンを外す。
その時は気がつかなかった。あんまり見ないで、という言葉もその時の僕にはガソリンを注ぐものでしかなかった。高校時代に人知れず考えていた、この子だったらエッチしてもいいという謎の上から目線の基準を楽々クリアする子に、卒業後いたずらしているような感覚で股関は更に膨れていった。
ワールドイズマイン。
まるで、その言葉が自分のためにあるような、気がした。
「ちょっと待っててね」
そういってきみは浴室へ向かう。
背中にポツポツ見える点が、浴室の明かりで見えた。
「いいよ」
呼ばれて浴室へ入った僕は愕然とした。
彼女の背中には無数の痣があった。
呆然としていると、嬢が察したのか、大丈夫だから大丈夫だから、と繰り返した。
多分日常的に暴力を受けているのだろう。
かわいそうに。その上、こんな仕事までさせられて、辛かったろうに。
なんだか僕は、彼女を守りたいと思って裸のまま抱き締めた。
大丈夫だよ、大丈夫だよ、彼女を落ち着かせるように僕も囁いた。
こくりと小さく頷く彼女はとても愛らしく、またふわりとシャンプーの匂いがほのかに香る。痣はあれども、小さなその身体は温かく、女性らしい柔らかな肌をしていた。
大丈夫だから・・・。何故か分からないけれど、そう呟きながら僕は泣いていた。
気色悪い客だと思われたかもしれない。
でも、ひとりの男として彼女を包んであげたかった。
彼女もまた、涙ぐみながら、ありがとうと言った。
しかし、身体は正直である。
この優しい心の通い合いの最中も僕の息子は全力で勃起していた。
その異様な雰囲気に、僕らは笑った。
燃えた。
なんかよく分からないが、昔読んだ2ちゃんのスレで、暴力彼氏から風俗嬢を守る話の主人公になったような気分だった。
一抹の背徳感を感じながら、僕らはセックスをした。分かってる、本番は禁止だ。でも、それはもう、日常では味わえないほどの気持ちよさだった。
外が寒いから、と付けていた暖房のせいで、ふたり汗だくになりながら、抱き合った。
タイマーが鳴っても彼女は僕から離れなかった。ピピピピッピピピピッという警告音が部屋に鳴り響く。彼女は今日はもうあなたが最後だから、お店に怒られちゃうけど、まだいいや、と笑ってタイマーを止めた。
そして、僕らは身の上話をした。
普段、僕はテレビ局勤務と職業を偽る。もともと僕の夢だった仕事だ。風俗に行く時くらい、理想の自分でいるために。が、この時だけは、気がついたら本当のことを話していた。あるアプリの企画を担当していること。
引っ越しをしようとしていること。そして、今度犬を飼おうと思っていること。しまった、と思ったけれど、もうそんなことはどうでも良かった。
彼女は、同じ小田急線の神奈川寄りに住んでいること。身バレを少しでも避けるために新宿で働いていること。そして、出勤日は、四ッ谷のビジネスホテルに泊まっていること。
お父さんが高校卒業の前に死んで、そこからお母さんが病気になってしまったこと。お母さんの看病のために自分で学費を稼ぐために風俗で働きだしたこと。結局体力が持たずに、大学を辞めてしまったこと。本当は獣医になりたかったということ。色々投げたしたいけど、大好きだったお母さんを見捨てることがどうしても出来ないということ。
どこまで本当のことかは分からない。そもそも風俗嬢の話なので、全部嘘かもしれない。でも、暴力の話はさすがに言わなかったけれど、彼女の話は妙な臨時感があり、多分本当のことも少しは含まれていたんじゃないかと思う。
彼女は、「いつか行ってみたいな、新しいおうち。」と僕に言った。僕は、「そうだね、いつか。」と答えた。でも、それは実現しない「いつか」であることは明白で、それ以上僕は踏み込むことができなかった。
「また会えるかな?」僕が聞くと、携帯教えようか?と言われた。
でも聞いてしまったら、営業電話をしてくる彼女などを見てしまう気がしたので、その場では交換せずに紙に書いてもらった。
そんなの普通の営業のやり口だよ、と風俗経験者は言うかも知れない。でも、そんな野暮なことは言わないで欲しい。僕はまだ彼女をどこかで信じているのだ。
そして、僕らは再び抱き合った。
何度も何度もキスをした。
昔KinKi Kidsが硝子の少年で歌ったような一説のように、唇が腫れるほどに。彼女の携帯はずっとなり続けていた。多分お店だろう。僕は、彼女を拘束したと疑われて、ブラックリストに載ってしまうかもしれない。
手を繋ぎ、エレベーターでも抱き合いながら、フロントへ向かった。
鍵を渡して、また抱き合おうとしたとき、フロントの婆さんがしわがれた声で僕に叫んだ。
「ちょっとお兄ちゃん、延長3000円だよ」
当時の安月給で、追加コストは手痛かった。
彼女も、ごめん、私も出すよと言ったけど、売上金に手をつけたら、更に彼女が怒られてしまう材料を作ってしまうから、それは断って支払いをした。
バイバイ、またね。絶対連絡してね。
耳障りのよい彼女の声が二丁目の喧騒にかきけされていく。
外は、雨が降りだしていた。
僕は傘もささずに、いつまでも彼女の後ろ姿を見ていた。翌週の給料日まで、モヤシとスティックパンで凌げるかなぁとぼんやり考えながら、パステルカラーのカーディガンが、傘の群れに飲み込まれるまで。
実はこの話には後日談がある。
それはまた今度書き記そうと思う。